とりあえずあたしは無事です。
地震には慣れていないので多少驚きましたが、身体的には怪我一つしていませんし、精神的にもダメージは受けていません。本棚が崩壊したのとプラモデルが壊れたのが悲しいくらいですが。
むしろ精神的に参ったのは、この国というか社会の病根がどこにあるか、改めて見せつけられた事にあります。
はっきり言いますが、この社会をおかしくしているのはマスメディアです。一つ一つの事象を追うのはそれだけで鬱になりそうなのでやめますが、とにかくエモーショナルな報道、それも視聴者の不安と恐怖を煽りこの世の終わりが来たかのようなものばかり垂れ流すのは一体どういうことでしょう。
彼らには、いつもの方法論しかないのでしょうね。涙、悲劇、そういうものを民衆が好むから流すのだ、と。だからテレビで流れるのは津波が全てを押し流す映像、瓦礫の山、泣き叫ぶ遺族、吹き飛ぶ原発建屋、そういうものばかりです。
しかし彼らには視聴率を取るとか大衆受けを取るとか、そういう視点はあっても、自分たちが持つ力を行使して少しでも状況を改善しよう、復興に寄与しよう、そういう気は全く無いようです。もしもその気があるのなら、できることは山ほどある。
たとえばハリケーンに襲われた際、アメリカのメディアが繰り返し流したのは、復旧と救助に奮闘する警察官、軍人、消防、技術者といった人々の姿でした。彼らはこんなに頑張っている!我々は決して屈しない!被災地の人々よ、貴方たちは決して孤独では無いのだ!そういったメッセージと共に。それらがどれだけ人々を鼓舞したか、想像するに余りあります。
しかし日本のメディアがやることは、悲惨さの大安売りと批判だけです。目下袋だたきにされているのは東京電力ですが、彼らが何をしたというのでしょうね。彼らは事故を起こした訳でもなければ災害を起こした訳でも無く、未曾有の大災害で破壊された原子力発電所をなんとか破局から救おうと奮闘しているのであり、足りない電力を工面して被害を最小限に食い止めようと努力しているのです。その彼らを、正義の体現者のような顔をして口汚く罵倒する記者やコメンテーターを見るにつけ、もう民放報道は無くてもいいんじゃないか、と思ってしまいます。
確かに東京電力の備えには穴はあったでしょう。初動の失敗もあったかも知れない。しかし人は全知全能ではなく、予測できないこともあり、失敗もある。その傷を最小限に食い止めようと必死に努力している彼らを、一体誰が非難できるのでしょう。
イエス=キリストは言いました。「貴方たちの中で、罪を犯した事が無い者だけが、彼女を石で打つといい」と。
釈尊は言いました。「毒矢を受けて苦しんでいる者を前に、その毒矢を射たのが誰かとか矢の素材が何かとか、そんなことを議論して何になる。まず矢を抜いて毒の手当をせねば、彼は死んでしまうではないか」と。
今も現地では、多くの人々が必死に働いているんです。
現地派遣された自衛隊員は、はじめの三日は不眠不休で、そのあとは24時間働いては2、3時間の仮眠を取る、というペースで働くのだそうです。野外調理設備は被災者の為に使い、自分たちはレーションで空腹を満たしながら。
原発では、多くの作業員が苦闘しているそうです。分厚い防護服を身につけ、爆発と火災と放射線の恐怖に耐えながら。
これを読んでいる皆さん、こういう人達の苦闘を、暖かく安全なスタジオで小綺麗な服を着て身だしなみも整えた記者やキャスターや解説者が批判するのを、正視できますか?あたしにはできません。おぞましさしか感じません。
情報が欲しければ、NHKのニュースを見ればいいと思います。民放の報道バラエティなど、見るだけ時間の無駄どころか知性を精神を蝕むだけです。
それから、この一連の流れの中で、誰が何を言ったかは覚えておいていいと思います。こういう時こそ、信用できる人と信用すべきでない人とは如実に浮き上がってくるはずです。
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