新たな年を迎え何か書こうと思っているうちに十日過ぎ、そして思いもかけない訃報が飛び込んできてしまいました。今年の最初がこんな記事になってしまったのは残念ではありますが、でも訃報ではあっても死者を悼むというだけでもないですし、優先してまで他に書くべきことは無いのでこれでいいのかもしれません。
デイヴィッド・ボウイが亡くなりました。69歳、一年半にわたりガンと戦っていたのだそうです。
あたしごときが今更彼についてくどくど書くこともありませんし、彼がいかに偉大な人間であったかについてはネットを少し見て回ればいくらでも記事が転がっているでしょう。それでも敢えて書くにしても、あたしにはやはり偉大という言葉しか見つけられません。人間の偉大さがその可能性、多様性にあるのだとするなら、彼ほどに偉大な人間というのも滅多にはいないでしょう。
デイヴィッド・ボウイは多様性の権化のような人でした。その長いキャリアの中で、彼は何度も何度も「それまでの自分」を破壊し、そして「新しい自分」を引っ提げて戻ってきました。その意志と感性の赴くままに、せっかくそれまでに築き上げてきた「デイヴィッド・ボウイなるもの」を放り捨て、新しい「デイヴィッド・ボウイなるもの」を見せつけてきたのです。一人のミュージシャンが一つの道を突き詰め世界的な名声を得るというだけでも、その道程は途方も無く困難なものでしょう。しかし彼はそれを何度もやったのです。方向性の転換やマイナーチェンジでは済まないレベルの変化、あたかもそれは新たに人生をやり直したかのような変身を、彼は何度も繰り返しました。ディヴィッド・ボウイというアーティストは、一つの生命で何人分ものアーティスト人生を生き、その都度世界中に名を馳せてみせたと言っていいでしょう。
あたしは若い頃の彼のことはあまり知りません。グラムロックに手を染めた頃の奇抜なファッションが「北斗の拳」のユダのモデルになったという話くらいは知っていますが、さすがに70年代の話は遠い伝説として知っているだけです。
はじめて明確に意識したのは、彼がもう老境に入ってからでした。57歳の頃、つまり今から12年前になりますが、彼は「Reality」という新しいアルバムを引っ提げて世界ツアーを行いました。その映像を見たときの衝撃は今でも忘れられません。
なんと美しい人なのだろう!と。
若いころの女装姿、奇抜なファッションはもうありません。そこにいるのは一人の白人男性の姿なのですが、その美貌、圧倒的なカリスマ性、それはもう只事とは思えませんでした。一体どうやったらこんな人間が発生するのだろう、どうやったらこんな57歳が現れるのだろう、そう呆然とするしかありませんでした。
そのツアーの動画がネット上にありますので紹介しておきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm249433
http://www.nicovideo.jp/watch/sm223385
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8943499
あたしが感じた衝撃の幾ばくかでも伝わるといいのですが。
しかしこのツアーの半ばで彼は心臓の病に見舞われ、それっきり表舞台に出なくなりました。病が重いとか、もう創作意欲がないとか、色々な話も流れました。人は誰もが老いるもの、仕方のないことか…そう思うようになった2010年、今から6年前ですが、いきなり彼は新しいアルバムを発表しました。皆を驚かせようと、ごく近しい人々とこっそり作ったアルバムだったのだそうです。
このアルバムは「史上最高のカムバックアルバム」と称され、世界中で絶賛されました。今までどおり、彼は今までの自分を捨て去って全く新しい姿を見せていたのです。やはりこの人は老いることがない、かつて彼がでた映画そのままに「地球に落ちてきた男」そのものだったのだ、と皆思ったでしょう。
そして今年、ついこの間の1月8日、彼はまた新しいアルバムを発表しました。この日は彼の誕生日で、これに合わせてアルバムの全音源がYoutubeで公開されたのも驚きをもって迎えられました。プロモーションにしては随分大胆だったからです。
http://nme-jp.com/news/12045/
これを聴いた時、また随分スタイルを変えてきたな、とは思いました。その不安を煽るような、暗黒や混沌、あるいは死を思わせるような雰囲気に気づいてはいましたが、それにまさかこういうオチが付くとは。
訃報が流れたのは、その三日後の事でした。
明らかに彼は自分の死を意識しながらアルバムを作っていたのです。そうとしか思えません。闘病生活を送りながら、恐らく不可避であろう自分の死を見据え、作品を作っていたのです。
そして自分の誕生日にそれを発表し、誰でも聴けるように公開し、その三日後に世を去った。もしかしたら、アルバムが出た日にはもう意識も失っていたのかもしれません。誕生日から何日かは延命させてくれ、そう言い残していたのかも。全ては仕込みで、意図されていたものなのかもしれません。
その程度のことはやりそうな人ではありました。最後の最後にプレゼントを置いて、彼は去っていったのです。
あたしの最も尊敬しているミュージシャンの一人である平沢進は、デイヴィッド・ボウイの死に寄せてこんなことを書いていました。
「巨匠星へ帰る、をお祝いし」と。
彼は地球に落ちてきた男であり、火星人であり、架空のロックスターや架空の貴族だったりしました。その最後はしめっぽく悼まれる死ではなく、星の世界への帰還と呼ぶのが相応しいのかもしれません。
それでも、世界は最も美しく、才気に溢れ、ある意味において人類の最も偉大な側面を体現した人物を永遠に失ってしまった事に変わりはありません。
あいつはとにかく度が過ぎたんだ でもあいつのギターは最高だった
己を愛するあまり ジギーはすっかりおかしくなっちまった
とんだ救世主さ
ガキどもがあいつを殺したもんだから 俺はバンドをやめるしかなくなっちまった
…ジギーはギターを弾いたんだ
(Ziggy Stardust より)
14 年前
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