今から三年半くらい前、あたしは罪を犯しました。
それが原因で大切にしていたものを失いました。原因は分かっていましたが、その頃のあたしにはどうすることもできず、ただ自分の苦しみと悲しみにもがき苦しむばかりで、それがかえって周囲を傷つけていることに思いを致すこともできませんでした。
そして一つ、また一つと、あたしは大切なものを失っていき、気がつけば周囲にはほとんど誰もいなくなっていました。
失ってからしか分からないこともある、と言います。確かにそうなのかもしれない。
最後の一年余、様々なものを失ったあたしは静謐の中にいて、ようやく何が起きたのか、何を起こしてきたのかを振り返ることができたように思います。
そしてそうすることができたのは、もはやあたしがなくした輝くものたちに手が届くことはないと、そう確信できたからかも知れません。希望があれば人はそれに縋る。何か望みがあれば、それにしがみつこうとする。全ての希望を断ち切らねば悟りは開けないと仏教で説くのは、そういった意味だったのでしょうか。
あたしは運命論者ではありません。神様はいるのだと思いますが、神様も忙しいので人間一人一人に関わっている暇などないでしょう。ですから全ては偶然だったのでしょう。
もしもそこに神様でも人でも、誰だかの意志が介在しているのだとしても、それはそれで構わない。あたしにとって大事なのは、もはや望みを抱くことすらなくなり、過去は過去として眠りにつこうとしていた今、不意に雲間から光が差したという事実そのものですから。
そして凍ったまま葬られるはずだった全ては、再び動き始めた。
回り始めた車輪はあたしを何処へ連れて行くのでしょう。
先の事など分からないけれど、あたしはただ胸を張って、笑っていようと思っています。過去は変えようがなく、未来は測りようもないのだから、今だけを見つめていこうと。
14 年前
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